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雫の熱は奪われて狭いオーロラに溶ける 8さいの男の子とパパママの日々。

空間を共有する生。

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こうさぎの趣味。

テニス、サッカー、水泳、ゴルフ、スケボー、生き物捕り、そして金儲け。

いろいろな活動をしているのに意図はなく、単なる好みだが
それぞれで競技者層や年齢が違い、
全く異なる層とのかかわりが生まれるのがおもしろい。

特にスケボーはストリートスポーツなので、良い意味で独特な世界という印象を受ける。
こうさぎ家は学校よりもしたいことがあるときは積極的に休んで自分のしたいことを伸ばして良いことにしているので、
こうさぎはたまに平日の昼間に練習をしていたりする。
だが、訝しんでくる人はいないし、
おチビだからと邪魔にする人もいない。
かといって何か仲良しになるわけでもないが、名前を憶えてそっとアドバイスをくれたり
練習場所が同じBMXの人も交えて、年齢差20~30歳で、貸して、いいよ、をやっていたりする。
断られることもあるし、自分が断ることもあるが、それで何かが変わったりもしない。

金儲けも同じだ。
こうさぎは自分で開業してママゴト的に遊んでいるが、
子供だろうと何だろうと、売っているものがおもしろければ人は寄ってくるし、嫌なら寄ってこない、それだけ。

どんな生も空間を共有する自由が漂う世界だ。

最近、この自由は当たり前のようでいてとても難しいものなのだなと感じることが多かった。
こうさぎの学校はかなり自由な学校として知られており、
学校自身が発想力の促進とダイバーシティ教育を標榜しているが、
学校が思うような自由は保障されているが、学校が想定していない自由は排除される傾向がある。
残念なのはそれに学校自身が気付いていない点で限界があることだ。

たとえば、「森」というテーマで何か作ろうとしても、
森の想像力が広がるような美しい作品や環境問題を提起するような社会派の作風など、既存の評価軸が存在する作品は歓迎されるが、
森の赤を追求してみました、というような、評価軸の存在しないナゾの作品は、作者がどんなに思い入れを持っていても「捨てろ」なんて言ってくる教師がいる。
何を勘違いしているのか、エリート校に出来損ないはいらないという教員までいる。

面白い教え方は知っているが、
今の時代の流れに合わせて自分の教科を通じて何を教えなくてはならないかまでを考えている教員はごくごく一握りしかいない。

既存の評価軸とは違うものを生み出せる人や
その評価軸に疑問をもって変化を持たせられる人こそが今後の世界では重宝されるということを意識しない教育に未来があるのか。
既存の評価軸に従ってよいものを生み出せる人は、その評価軸の支配下にいるしかないし、
評価軸があるものはAIにとってかわられる可能性の高いものであり、つまりは今後は不安定な仕事といわれるようになるものだ。

とはいえ学校という枠組み自体が既存のものだから、やはり学校にそれを求めること自体が無謀なのかもしれない。
そう思って最近、学校よりも自分の興味を優先させる方針にしたのだった。

こうさぎはこうさぎの、自由な未来をつかんでほしい。
それがこうさぎの望む「金儲け」にはつながるかは果たしてわからないが、
自分の価値観を研ぎ澄ませ
自分のために居心地の良い世界を作り上げる手助けにはなるはずだ。

by rosedance | 2019-03-08 11:42